運命とは?




運命・・この言葉はあまりにも有名です。

古典の中を初めとして、

日常のあらゆる場面において顔を出してくる言葉の一つです。

「運命は変えられない」

「運命は自分の手で切り開く」

いずれも、よく使われる言葉でしょう。



では、いずれが真実なのか?

答えは、両方とも正しいのです。

人は、この世の中に生まれ出でる前に決められた「宿命」を持って生まれて来ます。

その上で、各種後天的な運勢誘導などで、人生の方向が決定します。



人の運命は簡単なものではありません。

ですから複数の方向から判断して、さらには、「その人を見る」ことをしなければなりません。

いわば、総合的かつ丹念に見て、初めて運命の片鱗が見えて来るものなのです。

ですから、「一発で自分の事を当ててみろ」と言われたら、私たちはお手上げです。

そんな能力があれば、預言者か宗教家にでもなって左団扇の生活を目指します(笑)



私は、占い師とは水先案内人であると考えています。

真っさらな世界に降り立ち、そこには加えられた様々な制限・環境・成り行きetc・・

それらを見据えた上でどうするのが、自分にとって最善の道なのかを模索する手助けをする。

いわば、人生相談の相手とでも言いましょうか。

ただ、ただの世話焼きさんと違うのは、「運命」を読み解く事が出来る、ということです。



「運命は変えられない」

これは、予め決められた方向以外には行けないようになるという事です。

適性が決められてしまう、と言ってもいいかもしれません。

つまり、小泉首相は首相になり得るけど、サッカー選手はなり得ません。

逆に、ベッカム氏はサッカー選手にはなれますが、首相にはなれません。

そういうことです。



そして、これらの道を選び取るのは、自分自身の選択です。

「運命は自分の手で切り開く」ということです。



どちらも真実だと言う事は、こういう理由によるものです。

もう一つ付け加えるとすれば、誰しも一つは幸福になれる道を持ち、

そこに至るために、何時でも方向転換が出来るということでしょうか。



運命学を読み解く者は、この法則に従って、相談者に良い方向を指し示す。

単純に、占い師とはそのために存在すると私は考えています。

世界から個人まで、その範囲は広大です。



運命に逆らい続ける事も、また人の生き方であるというのを、私は否定しません。

占い師としては、無謀だとは思うのですが。

例え困難の連続でも、人から決して幸せに見えなくとも、

己が道を貫き、それが幸せだというのなら、それで良いでしょう。



今の世の中は、価値観の多様化と言葉の定義の拡大によって、混沌を深めています。

運命を巡って人々が関心を持ち、悩み、接近・回避を繰り返すのも、道理かもしれません。

何が正しくて、何が誤っているのか、それは人それぞれに答えがあるでしょう。

占いとは、一定の方向性を持った答えを探し出す道具なのです。



役に立つか、立たないか、これは読まれている方々にお任せします。

人生で悩まない人などいません。

かくいう、私もその一人ですから。



運命を劇的に変えるような事は出来ません。

変えられるとしたら、それは天意によるものであって、人が作り出す事は出来ません。

ましてや、金銭・立場・経験で変えられると言うのは思い上がりです。

大切なのは、自分を幸せな方向に導こうとする、思いの強さなのです。



運命は皮肉なもの、とよく言われます。

でも、本当にそうでしょうか?

もう、本当に打つべき手は何も有りませんか?

自分は全く無力ですか?

自分に問いかけてみて下さい。



天は自ら助くる者を助けます。

運命は自分に微笑むのです。

辛いのならば、立ち止まって見る時という事です。



終わりに、運命とは、幸福に至る長い長い迷路のようなもの。

道案内が必要ならば、私にお任せを・・・

勿論、歩くのはあなた自身。

それを、忘れないで下さい。












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